ナガサキの日です

今日はナガサキの日です。
個人的に長崎原爆というのは因縁浅からぬものがあり何度か考えたことがあります。
因縁浅からぬというのは、当時私の母方の祖母がそこに住んでおりました。
原爆症で毛がなく、亡くなった時に火葬したら骨が残らなかった。
それゆえというのはおかしなものなんでしょうが、深く憎むものであります。

しかしながら言いにくい事を書くと、戦後これだけの時間がたっても冷静な議論がされてるとは言いがたいようにも感じます。
原爆は悪というのは当然だとしても、それだけを言い続けていても仕方の無いように感じる事もある。
物事は一つの目的の為だけにやるものではなく、幾つかの複合的な目的を達する為に行われる。
一方ではポツダム宣言を受諾しない日本への対応であっただろうし、一方ではソ連への牽制もあっただろうし、広島と長崎で別のタイプの原爆を使ったというのは実験的な側面も多かっただろうし、そういった背景を複合的に捉えないといけないと思う。
それは原発の事でもあると思う。
そういった話し合いがなされない限り何も進まないと思う。

しかし嘆き終わるものではなく、我々はどんな時にでも未来に向かうしかない立場にある。
戦後68年。
もっともっと未来に繋がる話が活性化される事を願います。
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環状線にて

眠らない街、という言葉がありますが、私が住んでいる大阪も間違いなくその一つだと思います。
JRは24時間化した方がいいんじゃないかと思うほど、日付が変わっても座れないほどに人が座っています。
大阪環状線は特に、全時間帯で乗車率が100%を超えているように思えます。



しかし一瞬、偶然か何かで、それが途切れる瞬間があります。
私は一度しか経験した事が無いのですが…。
環状線は内回りと外回りがあり、時間と駅により、やや利用の少ない地区が存在します。
それでもたいていは多数の人が乗り込むものですが、一度だけ、乗ったらその車両は私一人だけという事がありました。

こうこうと明るい街並みが外に広がり、しかし車内は私一人。
不気味に感じて前の車両に行っても誰も居ない。
ポツンと一人、ガタガタ揺られながら乗り続ける。



快速は小さな駅を飛ばしてゆく。
その通り抜けるだけの駅には、電車を待つ人が何人か見える。
快速で通り抜けるだけと知っているからか、こちらを見る事は無い。

不気味。
ついに快速が止まる駅になる。
それでも人は乗ってこない。
そのまま発車する。

こういう時、色々妄想してしまいます。
もしかするとこの電車は“普通じゃない”電車でこの後~~~ など。
我ながら発想豊かなものですが。

結局、その快速が止まった次の駅で、数人が乗ってきて「なんだ」と思うと同時にほっとしたのですが。


有名な怪談というか都市伝説というか・・・に、「きさらぎ駅」というのがありますが、この話が凄く好きです。
興味があればググってみて下さい。


夏だし怖い話でもしようかと思っているのですが、残念ながら過去に体験した事は既に記載済み。
カテゴリーの不思議な話参照
人生において語れる怖い体験は4つしかない…というか4つでもまぁ多い方だとは思いますが。


私が環状線で体験した事は、単なる偶然の重なりだったと思います。
終電間際で人が減っていた時間帯だった事、人が少ない区間だった事。
それでもかなりの確立だったとは思いますが。

都会の中の一瞬の静寂に出会う事は、凄く好きです。
永遠の静寂にならない程度に、また体験してみたいものです。

お地蔵様の話

今年の暑さはまだ続くようなので、涼める話をもう一つ。

と言っても、最初に断っておくが、この話はおそらく、全く怖くない。
ただがっかりしないで欲しい。
これも実体験だし、不思議な話にはなると思う。

「不思議な話」のカテゴリーで幾つか、実体験による不可解な話を書いた。
私は…、ああいった体験を、霊的なものと真っ向から信じているわけではない。
ただ一方で、科学的な根拠や偶然と言う言葉で説明されたとしても、霊的な存在かもしれない…という思いを捨て切れはしない。

霊を信じるか、と言われたら、ズルいが「分からない」としか答えられない。

世にある怪談の類のテレビ番組がすべからくフィクションだとは分かっている。
(ただ怪談番組自体はとても好きだ。ただしアイドルが泣きながら悪霊に取り付かれたとか言って除霊してもらうような番組は大嫌いだが…)
友人知人には、信じるに足る不思議な経験をしたものは居ない。

それでも、そういうものが無いと言い切れないで居る。

そう思うきっかけが、今から話す話になる。
決してこの話は安易な気持ちでは読んで欲しくない。
私にとっては、とても大切に思っている体験だから。


この話自体は、先ほど書いたように怖くない。
ただ…、もしかしたら、霊的…、超自然的なものの存在を、この話を読む事で少し信じられるようになるかもしれない。

さて、前置きが長くなってきたのでそろそろ始めたい。





これは再び、墓の話になる。
既に何度か書いたように、裏山が墓になっている。
山の斜面に沿って、どんどん上へ上へ作られていった墓は、もう山頂付近まで墓石で埋め尽くされている。

しかし子供時代、「怖い」と思った事は無かった。
むしろ当然だったから、それを普通として受け入れていたし、むしろ遊び場だった。

近所の子供と一緒に、そこでよく遊んだ。
かけっこで上まで競争したり、墓の下に生えているクヌギの木でクワガタを取ったり…。

もちろん他にも遊び場はあった。
公園や河原、神社、田んぼ、etc.………、
だが、家から近い・体が思いっきり動かせる、上まで上ると景色がいいといった絶妙な条件を兼ね備えた裏山の墓は、特によく行く場所だった。

墓と言っても、墓石ばかりあるわけではない。
山の入り口付近を中心に、かなりの数のお地蔵様があった。
私も友達も、よく花を供えたり山菜を供えたり、思い返せば結構感心な少年達だった。
この辺の行いは、近くに寺があった事に由来していると思うが、それはまた別の話になるので今回は省いておく。

そしてある時、私と友人は、普通ではない地蔵を見つけた。

道を少し離れた場所、普通は誰も気にしないような場所に、首の無い地蔵があった。
親子のようにして、少し大きめの地蔵、小さめの地蔵が並んでいた。
首が無いのは子供の方だけだった。

今の年齢でこれを見つけたら、たぶん最初に思うのは「怖い」だと思う。
ただ純粋な子供だったからだろう…、「かわいそうだな」と思った。
そして友人との議論の元、ある結論に達した。

その結論を達成するために周囲を探し、はたして手ごろな大きさの丸い石を見つけ、首の位置に乗せた。

こういう行為は宗教的な見地から見るとどうなのかは今でも分からない。
ただその時は、純粋に、首が無いのは可哀想だからかわりを見つけてあげよう と思っての行為だった。
そして「良かったね」と思い、満足して家に帰った。

もちろん、不安定な首に丸い石を置いた所で、風が吹けば落ちる。
次に遊びに行った時、当然それは落ちていた。
ただ、私はもう一度拾い上げ、乗せた。

そんな事を何度も繰り返した。

墓に一番近い家は、私の家だった。
友人の家からは、近いといっても500mくらいは歩かなければ来れなかった。
だから、私はたまに一人で墓に遊びに行く事があった。

いつしか、首を乗せる事が日常というか…、普通になっていた。

そうしているといつしか、不思議な事が起こった。
いつを境にか、首が全く落ちなくなった。
風の日を過ぎても、もっと言えば台風の次の日でも、落ちなくなった。

それは徐々に落ちない日が増えていったとかでなく、「いつも落ちていた」から「全く落ちなくなった」という劇的な変化だった。
不思議に思ったが、私の思いというか…、そういうのを受け容れてくれたのかなと思った。

そんなことが小学生の頃にあった。


話はもう少しだけ続く。


その後、小学生の頃のように、日々墓に行く事は無くなった。
ただ行く事があれば、必ずチェックするようにしていた。
そして一度たりと落ちることは無かった。

だがたった一度だけ、落ちた事がある。
その時の事を書きたい。

2004年、私は当時ゲーム会社のグラフィッカーをしていた。
10月のある日、台風23号が接近し、会社は全員退社or泊まりの運びとなった。
私は会社を出て、猛烈な雨の中自転車をこいで家に帰った。
泊まりの方が良かったと思いながら…。

台風は凄かった。
その年というか近年では最強の台風で、広範囲に大きな被害を与え、死者行方不明者を98人も出す規模のものだった。
近年の事なので、この台風は覚えている方も多いと思う。
実家付近も大きな被害があった。

その年、年末に実家に帰り、墓を見に行った時だけ落ちていた。
台風で落ちた事は想像に難くなかった。

ただ、ここで「さすがに超大型台風の風には勝てなかった」と思われる方が大半だろう。
しかし私は違うと思っている。

台風の日、村の各所ではもう床上浸水が次々に始まっていた。
雨は止む気配が全くなく、下手すれば山崩れが起こると言われていた。

実家の地区は、友人の家含めて周りより少しだけ高い位置にあった。
だからギリギリで、まだ浸水はなかった。
だが時間の問題と思われ、貴重品を二階に移しているような状況だった。

だが浸水する事はなかったのだ。
もうあと少し…という所で奇跡的に雨はやみ、被害はなかった。
その一帯だけが助かったのだ。
超大型の、辺り一帯を次々と水に飲んでいった台風から。

その時にだけ、落ちた。

私は、あの地蔵が、守ってくれたのだと信じている。

私は何年かぶりに、丸い石(すぐ近くにあった)を再び首に乗せた。
それ以来、また落ちる事はなくなっている。


ほら穴の話

怪談の類。
今日のは本物。

さて、前回はやたら落としてしまったが、今回は本当の怪談をしよう。
もちろん実話である。
ただしこれは、私が経験した事ではなく、聞かされた事になる。

だが、がっかりしないでほしい。
事実であるのは保証をつける。
これは、私が育った村で起こった事件だから…。

起こったのは、私が生まれるわずか数年前だったらしい。
だから1980年前後の話になる。

事件の記憶は村にとって生々しく、私は小学生の頃、聞かされた。

それを語りたい。

実家の裏山が墓である・・・のは先の日記で書いた。
だが私の実家付近は本物の田舎で、裏山は一つだけじゃなかった。
裏山の奥はもう、延々と山しかなかった。



今でも、道は整備されていない。
わずかトラクターが通れる程に草が刈られている程度で、その道を反れるとすぐに深い山に入れる。
ただ近年、近くまでアスファルトの道が出来た。
この先、この深い山も開拓されるのか、それとも衰退する村と共に忘れ去られ今の姿を保ち続けるかは分からない。

その山には特徴があった。
一つは、クワガタの宝庫だった事。
子供の頃はよく入った。
時に蜂やムカデに襲われつつも…、毎日入っていた。

もう一つは、秋になるとキノコが生えること。

山に向かうと、まず道のほとりに池が見えてくる。
その池の外周に沿って、アミタケが密集して生えていた。
アミタケは食用だが、スポンジのような食感でネバネバしていた。
正直、私はその味は好きじゃなかった。



池を過ぎ、そのまま数百メートルも行くと、道を知るものにしか分からないだろう山への入り口がある。
そこから山に入ると、キノコが生えている。
種類はマツタケだった。

そう、山はマツタケ山だった。
もちろん、そんな宝の山を村は手放しで開放していたわけではない。
秋が近づくと、山をブロック毎に仕切り、村の寄り合いで入札が行われる。
その年、落札したブロックは、落札者一家の権利となり、もちろんマツタケも採れる。
ただ自然はきまぐれで、どのブロックに生えるかは確実な予想が出来なかった。
だからある種のギャンブル性に満ちていた。
それでも、村の者にとって、秋は貴重な臨時収入が入る時期だった。



ただ、いい事ばかりではなかった。
そこが、そんな宝の山である事はよく知られていた。

密猟者が居た。
私たちはマツタケ泥棒と呼んでいた。

村の人たちは、落札したブロックの境界を守っていた。
まぁ、それはそうだろう…。
万一バレたら、狭い村で白い目で見られ、暮らせなくなる。
密猟者は、どこからか山の事を嗅ぎ付けて、遠くからやってくるクズどもだった。


彼らは真夜中にやって来ていた。
夜中、山の方で黄色っぽい光が動いていると、「あれは懐中電灯の光………、マツタケ泥棒だ」と説明された。

かといって、夜中に山狩りをするわけにもいかなかった。
逆上した密猟者に殺されかねない…。

ところで、夜中に密猟者はやってくる。
そしてマツタケを探す。
暗闇の中、どのようにマツタケを探すかお分かりになるだろうか?

懐中電灯で照らし、くまなく探すという答えはナンセンスである。
経験者なら分かるが、広大な山の中でマツタケが生えている場所などわずか。
しかもマツタケの色は木の色に似る。
昼間でも探すのは至難なのに…、夜など。

また匂いでもない。
いくらマツタケに独特の香りがあるとはいえ、山の中で正確にその場所を探れる者は、もはや人間の鼻ではない。

夜は裏技があった。

キノコは言うまでもなく菌類で、その傘の内側に胞子を有する。
つぼみは胞子を全て内側に抱えるが、傘が開くと放出する。
そして胞子は、暗闇で光る。
慣れないと分からない程度ではあるが、薄く青くぼんやりと光る。

つまり…、懐中電灯を手に山まで行き、そして懐中電灯を消す。
そして目を凝らし、ぼんやりと青に光っているものの方へ行けば、マツタケがある。

ちなみに、マツタケは大抵、一本生えていると近距離にもう2、3本生えている事が多い。
まぁ、このようにして密猟者はマツタケを得ている。

さて、ここからが問題の話になる。

私が生まれる数年前の事だったらしい。
もちろん、当時も密猟者は居た。
密猟者は、己の行為が捕まらないものと確信すれば、どんどん大胆になる。

山で懐中電灯の光を見る日は多くなっていた。
それは密猟が組織化し、複数人によって犯行が行われている事を意味した。
いよいよ、村は唇をかみしめていた。



だがある日、密猟者の中の一人が捕まる事件があった。

それは夜中に山狩りをしたわけではなく、昼間、村の者…、正当な山の権利者がマツタケを採りに行くと、うずくまって動けなくなっている密猟者を発見したらしい。
そして密猟者は捕まった。
警察より先に病院に行ったようだが…。

うずくまって動けなくなっている…、というのは脚を怪我していた。

山は何かと危険なものがある。
岩とか、倒れた木とか…。
夜間に、つまずいて転倒する事など容易に想像できた。
だが、そうじゃないと思える場所で密猟者は倒れていた。

倒れていた場所は、山のほら穴の中だった。

ほら穴について解説しよう。
その穴は、人為的に掘られた穴だった。
そこ以外にも、山の至る場所に掘られていた。

何故か。
それは太平洋戦争に関係する。

当時、村に程近い位置に海軍の飛行場があった。
1700mもの大滑走路を持つ高速機や大型機にも対応した飛行場で、当時の日本海軍最高の戦闘機「紫電」なども配備されていた。
幸いな事に、そこが爆撃対象になる事は無かった。
だが、戦闘機による機銃掃射などはあったらしい。



少し余談になるが、戦後、飛行場は近隣の住民によって破壊され、畑になった。
というか、もともと畑だった場所が戦争のために飛行場になり、敗戦で畑に戻ったのだった。
私の父親は子供の頃にそこで飛行機の防弾ガラスの破片を拾った事があるらしい。
曰く、「甘い匂いがした」との事。

さて、ともかく飛行場があった。
そこに最新鋭機が配備されていた。
だから戦争最末期、「そろそろここも爆撃されるぞ」と噂されていた。

近隣の神戸や大阪は大空襲でやられた。
次は舞鶴港かここだ…。
一帯に暗い影が立ちこめ、すぐさま山に多数の防空壕が作られる事になった。

若い男は戦争にかりだされている。
だが突貫で山は掘られた。
ろくな経験も指揮者も居ないまま、とにかく多数の穴が掘られた。

普通、防空壕といえば、穴は穴だが木の柱や板で補強されているのが普通である。
だがそんな余裕も無かったのだろう。
単に穴を掘っただけのそれは、防空壕というよりほら穴だった。
ただ、当時の「明日にも爆撃されるかもしれない…」という状況では、いたしかたないと思う。

とにかく突貫で掘られた穴だったが、それゆえに掘る際の事故も起こっているらしい。
それは、一番奥を掘っている際、穴が崩れて生き埋めになった例など…。
ただ、それすら構っておられず、崩れたら再び掘り、犠牲者は簡易な葬儀で済ませ、先を急いだ。

結局、爆撃は無いまま終戦を迎えた。
ほら穴はそのままにされ…、というより忘れ去られ、時は流れた。

幾つかのほら穴には行った事がある。
たしか小学4年生の頃だったか5年生の頃だったか…、防空壕の探検として4箇所ほど行った。
例の友人と共に。
うち3つは非常に綺麗な状態で現存していた。
更にそのうちの1つには、今から思うと勇気があったなと思うが…、中にも入った。
50mほども奥に続いており、その先には怖くて行けなかったが、細くなりつつもまだ続いていた。


さて、密猟者が倒れていたほら穴は、そんな場所だった。
怪我をした原因までは聞いていない。
落石にあったのか、つまずいて転んだのか…。

だが不思議なのはここからだ。

分からない事が一つある。
それを考える為に、今までの所を整理しよう。

密猟者は夜中、山に入る。
そして山で懐中電灯を消し、青く薄く光る光に向けて歩き、そこにあるマツタケを採る。
そんなある日、密猟者はほら穴の奥で倒れていた。
ほら穴は、太平洋戦争の終結直前に突貫で掘られた防空壕である。掘る時、あまりにも急いだ為、いたましい犠牲者も出ている。


分からないのは、何故、密猟者がほら穴に入ったか、という事だ。

ほら穴は掘ってあるから、当然、その地面には植物は生えていない。
あるのは極少量のコケ位だ。

もう一度、要点のみを書く。

ほら穴の奥にマツタケは絶対に生えていない。
にも関わらず、密猟者はほら穴の中に入っていた。

密猟者は青く光る光を探し、そこへ向かう。
向かった先が、いたましい犠牲者が出ているほら穴だったという事は………?

いったい何故、密猟者はほら穴に入ったのだろう…。
ほら穴の奥で、いったい何が光っていたというのだろう…。
それが分からないのだ。

小学生だった当時、聞かされた話である。


以来、何年かは、密猟は無くなったらしい。
だが数年もすれば、再び密猟者はやってきた。
おそらく、別の人だろうが…。

だが、今はもう来ていない。
何故なら…、マツタケは、管理された松林でしか生えない。
戦後の高度成長以来、村は松林を管理しなくなり、徐々にそこはマツタケの生えにくい山になった。
今はもう、ほとんど生えない。
だからいつからか、密猟者も来なくなった。

ほら穴も風化し、次々崩れ、その痕跡すらなくなった。

私が生まれる数年前、密猟者が捕まったほら穴も、今はもう無い。
ほら穴の奥で密猟者を誘ったものは何なのか。その主が居たのなら、今はどうしているのか。
それはもう誰にも分からないと思う。

ただ、願わくば、無事天に召された事を私は願いたい。

墓にて

怪談の類。

これでも田舎育ちである。
都会には無い何かを経験した事が多い。

人からは霊感あるんじゃないの?と言われる事もある。
そういう経験もある。
とりあえず、以前の記事でも参照して頂きたい。
もっとある。

ただ自分は、自分ではそういうものがあるのかは良く分からない。
半信半疑としか言えない。正直。
ただ、そういうものを馬鹿にしようとは思わない。
やっちゃいけないと思う。
その程度には思っている。

さて、子供の頃の話をしよう。

田舎育ちであるのは先に書いた通りであるが、実家の周りはどんどん過疎化しつつある。
自嘲気味に天国に一番近い村と言われていたりするが、実に不謹慎である…。

私の世代は、子供の頃を賑わう村で過ごした最後の世代だろう。

家に裏山がある。
その裏山は地域の墓になっている。

山の斜面を切り崩して墓は存在している。
墓はどんどん山の上へ上へ作られており、今ではもう山の山頂付近まで全て墓で埋まった…、山ごと墓みたいなのが裏山だ。

こう言うとかなり不気味がられ、怖いと言われる。
ただ、私の場合、子供時代、それが普通だった。
怖いと感じた事はなかった。
むしろ遊び場だった。

子供にとってかっこうの遊び場だった。
元気の有り余る子供だったから、一番上まで駆け上る競争などよくしていた。

特に夏は、墓の下にクワガタとカブトムシの居る木があったから毎日のように行っていた。
そのついでに、墓参りもしていた。
私と、近所の友達はそんな日々を過ごしていた。

しかし実を言うと、一つだけ怖い場所があった。
それは山のふもとに立っていた小屋だった。

その小屋だけは、暗黙の了解のように、私も友達も入らなかった。
小屋がどういったものであるかを知っていたから…。

その小屋は、戦前に使われていた小屋で、死体安置所に使われていたらしい。

村では戦前、火葬という風習がなかった。
土葬されていた。

その手順は少し変わっていた。
詳しくは分からないが、恐らく宗教的な理由だと思う。
死体をまず小屋まで運び、寝かせる。
そして埋める穴を村の男が掘る間、死体は小屋に寝かせておく。

穴は数時間で掘れる。
だがすぐには埋めない。
必ず一晩、死体はそのまま小屋の中に安置して、翌日に埋める。

その風習の理由は分からない。
ただ、それが真冬だろうが真夏だろうが、行われていたらしい。
おそらく夏場はそれなりの事になっていたと思う。

戦後、その小屋は使われなくなった。
土葬のかわりに火葬になった。
ただ、わざわざ壊す事もあるまいという事でそのままになっていた。
半世紀近くも…。

死臭が小屋には染み付いていた………のを感じていたかどうかは覚えていないが、大正に立てられた建物は古く、その雰囲気は人を寄せ付けぬものがあった。
だから恐れていた。
本能的に、といっていいと思う。

ただ問題は、その当時、私と友人が小学二年生だった事であった。
お分かりだろうか。この頃の男の子の心情を。
何が起こっても「怖い」と言えない世代である。
必死に堪えて「怖くないもん!!」とプライドを保たねばならぬ世代であるのだ。

そしてある日、何の歯車が狂ったか、友達と私は、あんな小屋怖くないもん!!という言い合いになった。
こうなるともう泥沼である。
怖いんやろ。怖くない。この言い合いが延々続き、だったら行こうとなるのに時間はかからなかった。

ビビってたのを悟られないように、夏の日、小屋へ行った。

近づくにつれ、口数は減り、小屋が見えた辺りから何も言わなくなった。
ただ、それでも行かないわけにはいかなかった。
互いに。

そしてついに小屋の前に来た。

木製のつっかい棒は、子供でも容易に外せた。
それを恨んだ。
ギィィィィィイイ…、と音を立て、おそらく数十年ぶりに小屋は開いた。

中から古い空気のにおいがして、そして何故か湿った感じがした。

ぐっど堪えて中に入る。
すると、そこから何かの音がした。

ブォォォ… ブォォ…
という、何のものか全く分からない、けど不気味な音がしていた。
パニック。
しかしこういう時、動けない。友達ともども。

不運にも扉は入った時、律儀に閉めていた。
扉を開けて出る…、その行為が怖くて出来なかった。
何故なら正体不明の相手に背を向ける事になるから。

ブオォォ… という音は続いていた。
出口にもたれかかりながら、必死で耐えた。
泣きそうになるのを堪えながら。

しかし次第に落ち着きを取り戻してきた。

そしてついに音の方を凝視し、その正体を見た。


そしてそこには、

ありえないくらいでかいスズメバチの巣があった………………。

暑い夏の日のことであった。




正直すまんかった。
ちなみに全力で逃げ出した事は言うまでも無い。

ちなみに本当の怪談も在るので、それはまた次回に。
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