個人的な好みと中立性に関しての意見

第57回アンケの回答を締め切りました。
沢山の応募ありがとうございました。結果は多分明日中に…。
1~10まで様々寄せられています。それぞれ色んな思いがあって面白い結果になったなぁと思います。
お楽しみに。


さて、次。
トップページを見ていただいてお気づきになったかと思いますが、58回アンケを開始していません。
今回ちょっとお休みいただきます。ご期待頂いた方には申し訳ございません。
体調・・・ではなく、今回、アンケ回答と一緒に寄せて頂いたご意見がありまして、そちらの方で思う事があったので以下書きます。

その事に関しては、よろしければ幅広く忌憚無き意見を寄せ頂ければと思います。
それ次第で、その後を決めていければと思っています。


たいへん長い文章で頂いています。
長いので、最初に全て載せた上で私からの返信の書くスタイルだと長すぎてダレそうなので、途中途中で応える形で返信します。
(最初にお便り前文に目を通したい場合はこちらから)

以下、赤文字が頂いたお便り 黒文字が返信です。

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このファンサイトについての率直な感想と疑問。

良くも悪くも保守的すぎるんじゃない?
三式さんにとってゾイドって何?ひょっとして旧バトルストーリーが一番好きなの?
その上で議論したいって、何なの?三式さんの中では旧バトストが至高という結論は変わってないんじゃないの?
もしそうなら、公平中立に皆様の意見をというのは矛盾してないかな?と思うの。


まずは貴重なご意見ありがとうございます。

メカ生体ゾイドが最も好きです。
ですが、矛盾してないと思っています。

例えばですね、
・どのシリーズが好き?
・帝国と共和国どっちが好き?
・小型と大型どっちが好き?
・高速系とドッシリ系どっちが好き?
・動力と可動どっちが好き?
・パーツ数が多いと少ないどっちがいい?
まぁ、いくらでも増やせるんですが、これら全てに「均等に等しく好きです」と言える人は居るのか?というと居ないと思うんですね。
「全体が好き」で「その中で特にこれが好き」っていうのがあるのは普通なんじゃないかなぁと思うわけです。
そんな聖人を求められても困惑してしまいます。主観を持つ事くらいは許して欲しいなあと思います。

また、中立性・公平性っていうのは視点をどこに置くかで変わるものです。
ここがメカ生体ゾイドしか認めない場所だとしましょうか。貴方の言う通りの場所ですね。
で、議論を行うわけです。そしたらこう言われるわけです。
「おめー共和国派じゃねーか。何が中立だ」とね。

また、玩具業界におけるゾイドの立ち位置とは何か?というお題で議論するとすれば、ゾイドを好きという時点で既に偏ってますね。
中立というのは難しいものです。視点をどこに置くか。どう捉えるのか。それによって容易に変わります。

あらゆる視点で完全な中立が保てるとすれば、もはや興味が無い人じゃないかなと思います。
しかしその人が主導する事に私は意味を感じない。


で、ここからがキモなわけですが、
人であるから好みがあるのは当然だと思うんです。
でも、好みがある中でも公平な立場に立つ事は可能だと考えているわけです。
どうでしょうか?

メカ生体最高やー あー、それ以外はマジくそやな そういうヤツはお断りですよ  的なものだったら中立性は無いと思うんですけどね。
そうじゃないでしょう。
少なくとも全てのシリーズのファンの発言を歓迎するスタンスを取っているつもりなんですが、どうでしょうか。
今のHPの構成で機獣新世紀を蔑んでいると感じるなら、私としてはそれは過敏だと思うんです。

シーソーは両端の高さの合計が決まっています。だから片方を上げると片方が下がります。
この理論で考えるなら私はメカ生体以外を蔑んでるんでしょうね。
しかし好きというのは総容量の合計が決まってない。
好きが強ければ強いだけ増やせるものじゃないかな。片方を上げてももう片方は沈まないんじゃないかな。むしろ釣られて上がるくらいで。
と思うんですが、いかがでしょうか。


まずゾイドレビューの時のカラーの話。
ほぼ旧カラーの方が好きとなっている。新カラーを褒める事はあっても、旧カラーの方が好きな場合がほとんど。人間最初に見たものが土台となってしまうけれど、それを打ち破ろうとは思わない?色は個人の好みだけど。


新カラーへ理解を示してる時点で公平だと思うんですがどうでしょうか。
しかも「旧カラーの方が好きな場合がほとんど」ですよね。言い方変えれば新カラーが好きな場合もある ですよね。
うん、レッドホーンやセイバータイガーの目なんかは新世紀カラーの方が好きですね。
いいじゃん、それで と思うわけですよ。
全て新カラーの方が好きに変わらなきゃいけないのだとすると、それはもうわけがわからん。マインドコントロールですよ。
カラー変更を受け止めて変更の意図を自分なりに解釈し、その上でどちらが好きか自分の中で判断するというのは公平だと思います。


次に全体的なゾイドの感想。
本当に昭和バトルストーリーが大好きなんですね。当時の学生誌を使って旧バトルストーリーを補完しているなんて愛が凄いと思う。その上で。

ゾイドって昭和バトルストーリーだけではないよ。過去のブログとかざっと目を通したけれど、ファンや読者に「凝り固まるなよ」って諭す一方で自分が意固地になってる事って無い?
HMMとか、新しく始まった設定には否定的じゃない?たしかにバトストとアニメをごちゃ混ぜにした設定は思う所あるし、例えばアイアンコングの設定なんかはHMMとタカラトミー版で一見矛盾する。だけどHMMで設定された夢を見る装置があったからこそ、他の巨大ゾイドが軒並み数を減らした惑星大異変で、アイアンコングは生き残れたのかもよ。好意的に捉えてみて。


当時の学生誌って派生媒体だよね。アニメも漫画もHMMも等しく派生媒体だよね。公式から許可されたという点においては。けれど昭和バトルストーリーは派生媒体の学生誌まで使って補完しているのに、同じく派生媒体のHMMには否定的ってどうなのかなって。批判は何処でもされているし、フォローしてあげようとは思わない?というか、子供向けの派生媒体の学生誌は受け入れて、大人向けに再設定された派生媒体のHMMには辛口って、一種差別じゃない?

そして根本。昭和バトスストーリーに対する愛情。
これは本当に凄いよ。だけどさ、熱心すぎて公平な目を見失っていないかな。平成バトルストーリーには辛口だよね。自分の好きな機体が活躍してないから?戦時中の出来事なんだから、戦況が変われば活躍出来る機体も代わるし、役立つ機体がどんどん更新されていくよ。だからこそライガーやザウラーがいっぱい増えたとも考えられる。

もっと言えば、昭和バトルストーリーもマッドサンダー活躍までが至高って考えてるよね。好きな機体が大活躍する話は誰だって好きだもんね。

でも昭和バトルストーリーってそんなに良いもの?
昭和バトルストーリーは好意的に解釈し過ぎているきらいがあるんじゃない?
本質は平成バトストと変わらないんじゃないかな。強い機体が出てきて、それより強い機体が出てきて……の繰り返し。大差ないよ。

1.近代化改修ゴジュラスがレッドホーンを蹂躙。
2.ゴジュラス2体で抑えきれないウルトラザウルス。
3.ウルトラザウルスが正面からは倒せず、ゴジュラスが束になろうと敵わないデスザウラー。
4.デスザウラーの荷電粒子砲を受けてもびくともしないマッドサンダー。
5.マッドサンダーの重装甲さえ破るギルベイダー。
6.ギルベイダーを倒せるキングゴジュラス。
7.二進も三進もいかなくなって隕石衝突。惑星大異変。


三式さんお気に入りのマッドサンダーの弱点だって、学生誌の補完で、公式は最初弱点なんて考えてなかったかもしれない。昭和はあやふやで後から後から練られていった面も多いんじゃない?
そういった意味では平成ファンブックの戦力比で設定や戦力差を明言した点は素晴らしいし、素直に評価も出来るんじゃないかな。
インフレインフレ言われているけど、昭和の方が文字にしたら酷いよ。何だかんだで、平成バトルストーリーはマッドサンダーとほぼ互角になったデスザウラーがストッパーになってた。平成インフレの最たる例のエナジーライガーだって、ジェットファルコンと合体すれば最強ゾイドになるとしながらも、「
「デスザウラーの荷電粒子砲を連発出来る様な……」としているし。デスザウラーはほぼ最期まで格を保ち続けた。
一方の昭和は、デスザウラーの荷電粒子砲を上回るビームスマッシャーを空から撃てるギルベイダーとか、完全にデスザウラーをあらゆる面で上回る機体が出てきている。勿論キングゴジュラスとギルザウラーの関係や、海戦できるウルトラと運用出来る地形が少ないデスザウラーとか、光る部分もいっぱいだよ。
だけどそれを言ったら平成バトルストーリーだって同じ。両方とも一長一短だよ。昭和だって至らない点は山の様にある。


何が言いたいのかって言うと、三式さんは「昭和」バトルストーリーが好きすぎるあまり、それを原点にしたいがあまり、それ以外は亜流という色眼鏡を内心捨てきれていないんじゃないかな。だからこそ平成版のレビューでは何かと反省点を指摘している。昭和バトストの矛盾や描写不足は好意的に解釈する。



ここは私の戦史研究の意図を詳しく説明します。

メカ生体ゾイドは1991年3月末を以って終了したシリーズです。
それを今の目で見るというのは発掘・研究・解明です。メカ生体ゾイドへの解釈のスタンスはご理解いただけますでしょうか。

例えばマラソンなわけですよ。シリーズというのは。
開始5kmはちょっと乱れがあったな。20km地点までは安定したいいペースだったな。30km地点でペースを上げたがこれはミスだったな。終盤はバテてしまった・・・。
こういった分析を行い、
・もっといい記録を出すにはどうすべきだったか を考えたりするわけです。
・あの地点であのような走りを見せたのはどういう意図があったんだろう と考えるわけです。
そういったものが各種コラムなどです。

機獣新世紀あるいはHMMに対しては厳しいですよ。間違いないですね。
その事は「続編」あるいは「新事実」だからです。

続編であれば前回の走りの結果を踏まえた反省を活かすべきです。
新事実であれば、まず走りの結果に矛盾しない事が第一です。これは当たり前ですね。その上でなるほどと思えるものでなければなりません。
HMMの方はとても分かりやすいんですが、明らかに「違うやん」という事が平気で書いてあるから憤るんですよ。その上で新設定って何よと思ってしまうわけですよ。
まぁ、その上で受け止めたいとは思いますよ。でもそういったものなので苦言は呈したいという事です。

あと、「もっと言えば、昭和バトルストーリーもマッドサンダー活躍までが至高って考えてるよね」に関して補足しておきます。
私はメガトプロスを見てゾイドファンになって、そこから91年3月の終了まで熱狂的に追いかけていました。
なので思い入れはむしろ第二次中央大陸戦争末期~暗黒大陸編が最も強いですよ。


でもね、ゾイドってそもそも公式が曖昧な世界観でリセットしまくるんだよ。世界観なんてぼんやりしていてあってない様なもの。バトルストーリーが好きなら、平成バトルストーリーも積極的に好意的に取り上げ、評価してほしい。勿論バトスト以外だって魅力的な世界観はいっぱいあるよ。
昭和バトルストーリーを源流にするのはいいけれど、原理主義者になっちゃ駄目。
それが嫌ならホームページの目立つ所に、「旧」バトストファンサイトって明言してしまえば良い。自分が一番好きなマッドサンダーが一番輝いていた昭和バトルストーリーまでが大好きで、それ以降は認めない。認めたくない。それでもいいんだよ。
だけど一見公平な対場を装いながら、ファンやブログ読者に理想論を語るのはどうなのかなって。人間だもの、好き嫌いあるし、本音と建前がある。だったら無理に公平を装わなくたって良い。好きなら好き、認めたくないなら認めたくないって明言しちゃえ!

「自分はこっちの方が好きだし、今でもこの設定を源流と言える自信と根拠がある。だけど、他の意見も聞いてみたい。」
そうであるなら、まず相手の光る所を先に見つめようよ。褒めたり、共感したりした上で反対意見や批判意見も言うのが平等な立場だよ。批判を恐れるなと言うなら、まず相手が意見しやすい雰囲気と回答をしてほしいな。
現状、ブログは三式さんに賛成するイエスマンが感想欄のほとんどを占めている。これを考えてほしいんだ。ほとんどの人は本心から賛成しているか、興味深い議論だと乗ってくれているだろうけど、気をつかって本音で語れない人もいるかもよ。荒れまくるのは良くないけれど、反対意見も適度に出してほしいし、反対意見もアシストしてほしい。公平な議論がしたいならばね。でも裁判官でもそれが難しいんだから、公平とか、中立とか理想論は最初から止めてほしいな。だって無理だもの。

……なんて思うの。


ええと、頂いたご意見は大変ありがたいものです。ですが勝ちの方程式が仕組まれてますね。
「ブログは三式さんに賛成するイエスマンが感想欄のほとんどを占めている。これを考えてほしいんだ」
まぁ、これ正直に言うとなめんなって思うんですが(私に何か言うのは構わんがここに来て頂いている方を馬鹿にするのは一線を越えてる)、まぁ、それはさて置きですよ。

私としてはここで公開し皆様の意見を寄せて頂いた方が公平だろうと考えているんですが、この意見を汲むならば、
「不公平な場に晒してイエスマンを集めて自己擁護しやがった」という解釈が可能ですよね。

コメント欄はつとめて配慮してるつもりなんですけどねぇ。
名無しさんお断りの場所も多いと思いますが、名乗らなんから書ける事もあるだろうという事で大いに歓迎してますしね。
つとめて風通しは良くしているつもりです。


頂いたメッセージにはメルアドも書いてなかったから、直接のコンタクトも不可能。ここで返信する他ない状態です。
しかし、書くと上記の理論が成り立ちます。

書かなかったら、それはそれで「論破されてだんまり決めやがった」的に思われるんでしょうね。
どうなんですかね。
とても真面目に書いて頂いた事は分かりますが、私はそういう風なスタンスに激しい憤りを覚えます。
なのでまあこうして真っ赤になって返信しているわけなんですが。



私は「好みがある事」と「公平さ」は別だと思っています。
可能な限り公平な立場に立つ努力は惜しんでいないつもりです。
その判断は私でなく観覧者が行う事ですので、忌憚なき意見を寄せて頂ければと思います。
アンケを再開するかどうかって言うのはその意見次第だと思っています。

いや、アンケというか寄せられた結果如何によっては今後のあり方すら大きく変わると思いますが、ぜひぜひ忌憚なき意見をお寄せ頂ければ幸いです。


そうそう、最後に台無しな事を言う気もしますが、先に書いたように「好みがある事」と「公平さ」は別だと思っています。
ただ私が100%公平かというともちろんそうでは無いと思います。
「別」と言っても相互に影響は与え合います。無意識にそういった働きが出ている可能性は否定できないです。

しかし、その上で、「別にいいんじゃないの?」とも思うわけです。
こういう議論をすると0か100かという議論になりがちで凄く苦手なんですが、そりゃ人なんだから完璧は無理ですよ。
でも、無理な中でも納得できるラインで進んでいけばいいんじゃない?と思うんですよ。

例えば映画には多くのNGカットが混じって構成されてるんです。
完成フィルムだからOKテイクじゃねーかと言われそうなんですが、
「本来ならNGで撮り直しだが、予算や時間の都合上で仕方無くOKにせざるを得なかったNGカット」が存在します。
多くの映像作品はそういったカットが混じっています。

完璧は常に求めます。そうありたいと思い高めていくべきでしょう。
そうである方が良いに決まっているでしょう。
しかし到達するのはいつ?
よっしゃ完璧な自分になってからはじめよう! というスタンスでは、いつまで経っても議論が始まらんのです。
「完璧ではないがおおむね納得できる水準」であるならいいんじゃないの?と思うわけです。
物事を進めながら、その中で完璧を目指すスタンスも持ち続ければいいんじゃないかなぁと思うわけです。
どうでしょうか。

これは先日まで作っていた線画にも共通する事ですね。あの線画は完璧じゃないんです。
完璧にやるなら各パーツの大きさを計測してやるべきだ。しかしそうじゃなく、ただ側面から写した写真だけを参考に作ってます。
多分ね、完璧にやってたら多分まだ10体も出来てないですね。
線画の作り方はクオリティだけで言えば完璧じゃないが、進行速度とクオリティの兼ね合いで言えば最適だったと思っています。

という事で、まぁ改めましてお便りありがとうございます。
頂いたご意見は今後の参考に致します。が、私の意見もご理解に務めて頂ければ幸いです。
私なりに真面目に書いていますので受け止めていただければ幸いです。



もう一つ、ちょこっと別の話題で補足。
そもそも批判すんなっていう意見を頂く事もあります。公式がゾイドであるんだからユーザーをそれを受ければ良い。批判などもってのほかというもの。
ついでだからこれについても書きます。

私は批判というのは良いことだと思っています。こう考える根は、以前にゲーム会社に居た時の経験が大きいです。
当たり前ですが、会社では売れるゲームを作る必要があります。しかしそんな簡単なことじゃない。ヒット作は稀でした。
売れるゲームを作るには、ユーザーの意見がとても重要です。

もちろん、買った・良かったという意見はとてもありがたいものです。よしじゃあこの部分は次回作で更に良くしよう進化させようという事が出来ます。
単純に、気持ちがいいというのもあります。
しかし買わなかったユーザーの意見もとても参考になるものでした。

なぜ競合他社のゲームを買うのにうちのゲームは買わないのか。その理由は何故?
これはとても知りたいものです。この事は買わないユーザーの批判・文句から分かるものでした。
なるほどデザインがこうだから買わなかったのか。このシステムは受けが悪かったのか。といった具合です。

じゃあ直そう。次の作品は良くしようというものになりました。それは批判から分かるものでした。
良いという意見もありがたい。しかしそれだけでは迷走してしまう可能性を私は大きく感じました。
つまり、こんなに喜んでくれているのに何故売れない?という状態になるのです。

お褒めも批判も、双方が必要な意見だと思いました。
簡単にまとめると、私が批判に対し意味を感じるのは以上のような理由です。
しかしながら、何でもいいというわけでもないと思います。更に続けます。

批判には、良いものと悪いものがあります。これも同じ頃に思いました。
一言で言うと批判と罵倒は違うという事です。
メーカーへの批判であれば、それを受ける度量がプロには必要だと思います。
しかし中には個人を指したもの・ゲームとは関係ないところで人間性を否定したようなものもありました。そういったものは論外です。
相手の立つ瀬が無くなるものは批判ではなく攻撃、罵倒だと私は思います。
つい感情的になるとそういったものをやってしまいがちですので、気をつけるべきです。

大変ありがたかったものは、その業界全体を愛しているがこのメーカーは好きじゃないという意見です。
また、メーカは好きだが今回の作品は好きじゃなかったというような意見です。
こういったものは次回作を良くするヒントが大です。

逆に困ってしまうのは、業界にさほど関心は無い。だけど叩くと気持ちいいから罵倒するようなものです。
叩く為に叩くというものです。叩く為に叩く行為はどんどんエスカレートしていき、関係ない部分やどうしようもない部分にまで及ぶ事が多いです。
これは参考にならないばかりかモチベーションを下げるだけのものだったという感想です。
両者の違いは、その言葉だけを見れば差が分かりにくい事もあります。しかし実は全く違うものだと思います。
批判とか文句とかに関して思う事は以上です。

色々と批判的な事も書いていますが、そのベースはこのような思いです。
また、1の批判を書くには10の好きを書くように心がけているつもりでもあります。



あと以下は、一緒に寄せて頂いた本に関してのもの。ちょっと誤解があるようなのでそれもお答えします。

一方で、昭和バトルストーリーだけ追っている点が気になる。平成バトルストーリーはアニメに比べると影に隠れがち。
だけど素晴らしい描写もあるから、平成ファンにこそバトルストーリーを広げるチャンスだから、この完成度で平成版バトルストーリーのものも是非出してほしい。
ただし、平成はどうしてもアニメが主導。平成版の数は少なめが良いと思います。アニメ版での設定とバトルストーリー版での設定をごっちゃにしている人も多いから、そこを明言してほしいな。

昭和バトスト版は100部。
平成バトスト版は出すとすれば50部くらいで、繰り返しイベントの度に売っていけば良いと思う。


本は「第一次中央大陸戦争」「第二次中央大陸戦争」「大陸間戦争」の3冊です。まずは第一次中央大陸戦争です。平成のは出てきません。
これは線画をUPした時かな・・・に書いたんですが、これらの本を製作した後に機獣新世紀、リバースセンチュリーの線画に取り掛かるつもりです。
なのでこの時代の戦史研究本はその次という事です。ご了承ください。

戦史研究というのはそれ以前の「前史」を知ることこそ鍵です。前史を知れば今の「何故?」が良く分かる。
最近、中央大陸戦争以前の前史を妄想する事によって改めてそれを痛感しました。
リバセンも新世紀にとっては、メカ生体ゾイドが前史に当たるわけです。研究として順序があるのは当たり前の事です。
3冊の本を完成させることで、いよいよ満を満たして新世紀にも深く入ることでしょう。

あと、「アニメ版での設定とバトルストーリー版での設定をごっちゃにしている人も多いから、そこを明言してほしいな」と書いてありますが、私は公式じゃないので書くことに意味を感じません。
イベント即売会は今のところ予定はありません。

という事で以上です。
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