中司雅美さんのこと

本記事は普段は絶対扱わないような話題なんですがふとそういう事を書く気になったので書きました。

たまに「あのアニメから今年で10年」みたいな情報を見ると毎度うへぇ・・・となります。
時が経つのは早いなあと思わずには居れない。

さて先日あのTo Heartの発売から20年という記事を見ました。
ゾイドとは全然関係ないわけだけど、私と同年代の方にはあのブームを覚えている方も多いと思う。
To Heartは当時そのジャンルに全く関心が無かった自分でも余裕で名前を知っている程に凄いゲームだった。
で、ものは試しにとプレイしたのは99年だったと思う。興味本位からこれとONE輝く季節へをやってこんな世界があるんだと思って衝撃を受けたのだった。

驚かれる方が多いと思うが以前に美少女ゲームのメーカーに在籍していた事がある。その頃の事を少し書く。
ところで私は奇跡を信じていたりする。その事も後に書ければと思う。誠にこっぱずかしい話ではあるのだが。

あれは17年ほど前だったか。クリエイターになりたいと言った時には冷笑されたもんだけど二年後まで覚えとけと啖呵をきった。
負けず嫌いなのだ。結果として一年半後に行って見返した。
けどそこに至るまでの道のりは険しかった。

田舎から大阪に出て一人暮らし。勉強とバイトの毎日で精神的にも肉体的にも疲弊した。
若かったから多少は耐えられたけど、週6で22時-翌6時までファミレスでバイト。その後学校に行って帰って仮眠の後バイトというループはなかなか堪えた。
学費や生活費を考えればバイトはもっとしたかったけど勉強との兼ね合いは難しかった。やる気はあったしやりたいけど出来ないというのは精神をゴリゴリに削った。
恥ずかしい思い出だが何度か泣いた。

そんな当時に励ましてくれたのは好きな歌だった。中司雅美さん…これは奇しくもTo HeartのPS版主題歌であるところのfeeling heartを歌っている方なのだけど、その方の泣けるうちは元気という歌だった。
シルエットミラージュというセガサターンのゲームのエンディングだった。これもとても良いゲームだ。
サターンのCDはCDプレイヤーで曲が再生できるものが多い。これもその仕様だったのでよく聞いていた。
言葉にするとこっぱずかしいものだが泣けるうちは元気の歌詞はその通り内容で随分と勇気付けられた。とても良い歌なのでぜひ聞いて欲しい。

そして遂にゲーム会社に入った。
環境の良くない所だった。これが会社なのか!?と今なら思うような所だったけど、当時はそんな事も思わなかった。
そこでは色々な事を覚えたし色々な理不尽も経験した。
スキルアップはした。ただどうも上司に気に入られなかったので無茶をされ屈辱を味わった。ただしこの時は根性を出した。実力がそいつ以上だと示して追いやってみせた。最高の下克上だった。

一時的に折れかけた時もあった。けども持ち堪えて元に戻った。色んな経験がありつつも、今にして思えばあそこまでなんでひたむきだったのだろうというほど一生懸命だった。
さてある時、その会社で言うと規模の大きなゲームを作る事になった。だがこれが悲劇を引き起こした。

これをやりたい、あれもやりたい。そんな背伸びしすぎた企画はほとんど実現できない事が分かった。
プログラマーの技量を大きく超えていたのだ。
それでも強行しようとしたプロデューサー(兼メインプログラマー)はある日突如として鬱になった。
日中ずっと柔らかな笑みをたたえ、夕方突如として覚醒し意味不明なプログラムを組んで帰るような事を続けた。
誰もが異変に気付きこのプロジェクトはダメだと確信した。けど誰もそれ以上の事をしなかった。このプロジェクトが消えれば会社が危ないのに。
いやでもその点は私も同じで会社の心配はあまりしていなかった。どうでも良かった。しかし作りかけの(ほとんど未完成とはいえ)ゲームが消えるのは嫌だった。
同じ風に思う方が社内に一人だけ居た。メインじゃないけどプログラマーの方だった。

その日からたった二人でそこそこの規模のRPGを作り始めた。
幸い、絵だけはあった。絵はプログラムの困難とは別のところだたから問題なく進められていたのだ。
だが問題もあった。絵はあった。けどシナリオが矛盾だらけでグダグダだったのだ。

絵関係の素材はある。でもシナリオはグダグダ。プログラムはほぼ未完成。
そんな状態で二人だけで再構築を始めた。周りは何も言わなかった。グラフィッカーは特典のテレカの絵を塗ったりしていた。なんだかんだで作業はあったようだ。

シナリオは、絵は使いまわすが矛盾は取るという困難な修正作業だった。しかも音声は既に収録済みだったので新規の台詞は入れれなかった。だがやりきった。
シナリオを書くというよりパズルを作るようだった。その後幾つかのシナリオを書いたがその感覚は今でも強い。私は創作するより素材を有効活用して小奇麗にまとめる方が得意だと思う。
どうしても削った部分が少し出たので声優さんには申し訳ないと思った。ボリュームは当初より減ったがコンパクトに何とかまとめた。

プログラムはいじった事もなかったが何とか協力した。実際はプログラムじゃなくスクリプト程度ではあったが・・・。
ゲームが動く状態になるとすぐにデバッグして報告・修正してもらった。フィールドに問題があれば修正するグラフィックを即座に用意して実装してもらった。
私はグラフィックで言うと上手く誤魔化す事が最も得意だと思う。それはこの時の経験があるからだと思う。

プログラムで当初の想定を全て実装する事は出来なかった。そりゃあそうだ。だが言い訳ができる程度には”擬似的に”実装したりもした。
いかに誤魔化すかはプログラマーの方と笑いながらディスカッションした。その作業は楽しかった。クリエイターズハイな状態だったと思う。
一日一時間程度の仮眠で何日やったかよく覚えていない。会社に住んだ。
そしてゲームは奇跡的に完成した。

ようやく目処が立った頃から他のメンバーもデバッグに参加した。ちなみに所属の序列として私は下の方だったのでスタッフロールの名前は下の方だった。
こんな開発だったので想定外の箇所も多くやったのだがスタッフロールでは元々の担当者しか載っていなかった。
けどそこについて特に怒りはなかった。なんて表現したらいいのか分からないけどそんな事はどうでもいい感情だった。

ゲームの評判はボリューム不足、事前の説明と違うという事で低かった。でもまぁ、いいかと思った。
そのゲームはToHeart2のPC版の発売日に近かったので当初はぶつける予定だったそうだ。結局、延期をして全然かぶらなかったのだけど…。
発売延期の末の低評価。けどまぁそれでもいいかなと思った。これは悟ったとは全く違う感情だった。
何とか発売できたので会社は倒産はしなかった。けど評価がそんななので信頼が地に落ち以降傾いた。
その後に何年か経ち潰れた。私はその少し前に他所に移ったので最末期の事はよく分からない。

ところで奇跡とは何ぞやと書いておこう。
これはそのゲームのエンディングであった。ようやく目処が立ちバランスはともかく最初から最後までプレイできるようになった時、初めてエンディングの歌を聴いた。
それは中司雅美さんの歌だった。

この時、あぁこの業界に来て良かったなと、無茶をして良かったなと思った。
俺はこの人に夢を貰い、この人に支えられて夢をかなえ、そして困難を達した時に祝福してもらえたのだ。
全て偶然。偶然が幾つも重なりあってそうなったのだった。

更に話は続く。
そのゲームの次次作を最後に退社し別の職場に移った。
その頃に中司雅美さんが大阪でライブをやると知って行った。
そこで生の声を聞いて、新曲もたくさん聴いた。その中に咲かせましょう!という曲があった。
これがまた新しいスタートを切った当時の自分に強いエールを送ってくれる曲だった。
ついでに握手をしてもらってサインをもらった。

新しい職場での出来事は同じくらい大変な事と乗り越えた事があったのだがそろそろ話が長くなってきたのでいったん区切る。
でも一連の出来事は鮮やかに覚えている。指針になっていると言っていいと思う。

運命は勇者を愛する という言葉が好きだ。これは古代ローマの詩人ヴァージルの言葉。
勇者とは今日の自分を乗り越える人を指すと思う。なんだかスーパー戦隊の歌詞っぽいけど実際そうだと思う。
愛するとは甘やかす事ではない。それゆえの試練もあろう。でも勇者はそれを超え成長するのである。
この言葉を信じている。そうしている人に奇跡は起こるのだと思う。

以上こっぱずかしい話おわり。
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コメント

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浩之ちゃん?武ちゃん?

TOHEART懐かしいですね

今思うと自分も、あのジャンルに入ったのは従兄から借りた同ゲームでした・・・あかりのクリア条件がわからず挫折しかけました<そして委員長をクリアして再起しました
後年出たマブラブにキャラクター感を持って行かれた(あちらはSF作としていまだに続行中)のもありますが様々なジャンルを詰め込んだ逸品だといまだに思います
ちなみに俺は、TOHHEARTの次は君が望む永遠でした。

No title

>ToHeart2のPC版の発売日に近かったので当初はぶつける予定だったそうだ

ここを読んで、「うえぇッッッ!!?」と声が出ました(苦笑)(^^;)
東鳩2は、多少絵柄の変化はあっても、今でもタマ姉さんとかが
ゲームのメイン辺りに存在するダンジョンRPGとかが出るほどの作品・・・。
キャラ発表当時、無印東鳩からの絵柄の進化、一枚絵としての絵師の腕の進歩が
強力に伝わってくるビジュアルで、しかも伝説の作品の続編という立ち位置。
完全新作でそれにぶつけようとするってことと、企画が実力に合わない
挑戦的なものだと考え合わせると・・・企画立ち上げのときに、相当
暴走してしまったんでしょうね・・・(滝汗)。

それにしても、三式さんがゲーム開発に携わる方だとは驚きました。
ゾイドの線画が上手なので、絵心がある方だとは思っておりましたが。

読ませていただいた限りでは、その当時の職場は連携らしい連携は無いに等しかったのでしょうか。お二人がいなければ企画は完遂できなかったように感じました
執念や情熱だけではない様々な感情や意志を持ちその仕事に取り組まれたと推察いたしますが、そんな中で三式さんを支えた方の歌が最後にくるとは、人生はなにが起きるかわかりませんね。不思議な巡り合わせを感じました

No title

>神楽歌さん
マルチさんとか葵ちゃんは簡単なんですけどねえ。
あかりは最初髪さえ切ってくれなかったのでパッケのこれ誰?
Ageは凄いすね。君望は当初はあまりにもONEにあからさまにぶつけてきてる感じがして敬遠していたんですが、アニメの出来が凄まじくて「おおおお」となりました。
ラジオもノリノリでしたねぇ。斉藤Kさんときーやんが大好きです。

>Jスターさん
一応は在籍していた会社もそこそこの大手で社名はそのジャンルのファンなら誰でも知ってるレベルで野心は秘めていたんですよね。
コンスタントに作品は出し安定して売れるが特大ヒットはない感じで、いっちょやったるかという感じだったのかなあと思います。
該当のゲームはシリーズの4作目にして完結編という所で、一応は1~3でそこそこの人気を経ていたのでわずかながらも勝算があると思ったのかもしれません。
特に絵師(社長)がプライドが凄く高くて勝てると思ってたんじゃないかなあ無謀にも。
まぁ完璧にゲームが企画どおりに出来ていたとして勝てていたとはとても思えないんですが(というかジャンルが違うものをぶつけようとしていた意図も今から思うとちょっと意味不明ですね)。
リーフ・アクアプラスは過去のコンテンツも大事にしているので凄いなあと思います。
ToHeartは2はプレイした事はないんですが絵関係は業界に居た事もあって割と塗りの研究などにも使っていましたがまったくもって太刀打ちできない感じでしたねぇ。
初代も同年代の他社を抜きん出ていたと思いますが細部まで凄い仕上げでリードしてるなあと思うばかりでした。
2は仕事しながら音泉でやっていたラジオは聞いていた感じ。ラジオTo Heart2とうたわれるものらじおが最高に面白くてその意味でも圧倒的だわアクアプラスはと思っていたあの頃でした。

>横転臼砲
2000年から2006年くらいまでは雨上がりのたけのこのように美少女ゲームの新規会社がニョキニョキと誕生してそして倒産する、だが人気を得たメーカーは巨大になっていくような活発な時期でした。
時代として新しいフロンティアだったんですねー。
そんな時代だったので勢いで立ち上げ同人の延長的なノリでやっていた会社も正直多かったと感じます。
なのでまとまりが良い時は凄い力を発揮するもののひとたび分裂したら補修する術を知らない感じだったり派閥ができて深刻になったりって感じでしたねぇ。
まあ時代だったと思います。今は多分そういう所は限りなく少ないかわりに、野心的な作品もまた生まれにくいのかなと思います。良し悪しですね。

偉そうな事を描いていますが私もまたプロデューサーを救う気がなかった点においてダメな業界人の一人でした。
戦術的には最高の動きをしたものの理想的な綺麗事を言うと全員をまとめるべきだったのにそれをしなかったのです。
それでも取れる中で最高の動きをしたことには旨を腫れる矛盾でもあります。
プロフィール

三式

Author:三式
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